1981年7月〜1982年9月の動き

 この頃は1050形と1070形は1両単位で使用されており,工場へも各形式最小単位で入場していたため,車両・編成需給により比較的編成替えはあり, 3000系および800系以外の車両は,一度編成を組まれても早ければ数週間で,長くても1年はもたず編成が組替えられていた。 連解編成も朝と夜とで同じペアを組む運用になっていたため一度ペアを組むと同様の期間ペアは変わらなかった。

改造・・・中間部運転台撤去

800系は他車とは連結できないため3両固定となり,先頭に出ることがなくなった運転台の撤去が進められていた。

cMc cM Mc →→→ cMo oM Mc
862,804(1981年10月) +862++804--803+ →→→ +862--804--803+
863,806(1982年?月) +863++806--805+ →→→ +863--806--805+

300系は1000系とは連結できるが,非貫通のため中間に310形を挟んで事実上4両固定になっており,先頭に出ることがなくなった310形の運転台が撤去され始めた。

cM2 M1c cM2 M1c →→→ cM2 M1o oM2 M1c
313,314(1982年8月) +302--313++314--301+ →→→ +302--313--314--301+

改造・・・電気連結器付密連化

5両連解運用増加に備えて電気連結器付密着連結器化改造が行われた。1306×4の中間車2両を抜いて増結用に1306×2とされている。

cM T Mc →→→ cM T Mc
1112(1982年7月) +1112--1206--1111+ →→→ *1112--1206--1111+
cM2 M1 M2 M1c →→→ cM2 M1c
1305(1982年7月) +1306--1323--1324--1305+ →→→ +1306--1305*
→→→ M1 M2
-1323--1324-

塗装変更

1982年6月以降の塗り替え時には3000系同様に裾にもオレンジの帯が追加された。(ちょっと引き締まった顔に?)

+1054+
1982年6月
+1076+
1982年6月
+1056+
1982年6月
-1323-1324-
1982年7月
+1053+
1982年8月
+1108-1204-1107+
1982年9月
当時の一般的な塗装
当時の一般的な塗装
裾にオレンジ帯追加した塗装
裾にオレンジの帯追加

想い出の編成

cMe cMe cM T Mc 同じ方向の先頭車が3両も連なった気動車のような編成(当時は珍しくなかったが,現在はない)
塗装変更第1号(編成中1両のみ)
+1054++1060+ +1108--1204--1107+
cMe cM T Mc 1050形本来の使用法である,基本編成に対して1両単独での増結(当時は珍しくなかったが,現在はない)
+1058++1108--1204--1107+
cM2 M1c eMc 1050形本来の使用法である,基本編成に対して1両単独での増結(当時は珍しくなかったが,現在はない)
+312--311++1057+
cMc cM T Mc 1070形本来の使用法である,基本編成に対して1両単独での連解運用(当時は珍しくなかったが,連解運用の5連化により消滅)
+1071**1122-1211--1121+
cM2 M1 M2 M1c 1306×4の中間車2両のみを塗装変更のうえ,1308×2に組み込み。(4両固定編成での混色はこれのみ)
+1308- -1323--1324- -1307+
塗色2種類混結

なつかしのシーン

緩急接続 鈴蘭台では有馬線列車と粟生線列車が並ぶことは珍しくなかったが,有馬線列車どうしの普通(左)の急行(右)退避は朝1回だけあった。


1981年11月 ダイヤ改正

朝ラッシュ時に西鈴蘭台発新開地行準急1本が増発されて4連1運用増になったが,1981年3月に3012×4が増備済みのため編成数に変化なし。

車両新造

cM2 M1c cM2 M1c
+1356--1355++1354--1353+
1982年10月・・・久しぶりの1000系列の新造

0000裾ライン入り +先頭部密着自動連結器
0000非冷房車 *電気連結器付密着連結器
0000冷房車 -密着自動連結器または半永久連結器

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